科学雑誌にこんな記事が掲載されました。
生物の中には、色鮮やかな模様を持っていたり、
生活の邪魔になるんじゃないかと思えるほど
角が巨大化した種が存在しています。
こうした進化のほとんどは求愛行動のためで、
個体にとっては有利でも、種全体の増殖には貢献しません。
種の繁栄という観点から見れば、
これらはすべて「ムダの進化」と言えるのです。
自然界は厳格な競争社会であるはずなのに、
なぜそんな「ムダの進化」が起きるのか?
といったものでした。
生態学の理論では、
1つの生息地に多様な種が共存することは難しい
とされています。
餌資源や生息場所が似通った種同士では、当然競争が起きます。
その場合、もっとも効率よく進化した種が生き残り、
それ以外の競争に弱い種を駆逐してしまう、
というのが自然な流れだからです。
しかし、
現実には非常にたくさんの生物種が同じ生息地に共存しています。
これは生態学の理論予測に合わない状況です。
この問題は1959年アメリカの生態学者
George E. Hutchinsonが提唱したものですが、
60年以上経っても未だ生態学の未解決問題として残っています。
その内容は、
競争に強い種は、メスにモテるために余計なエネルギーを浪費するようになることで、
他種族への競争排除の圧力を弱めている、というものです。
クジャクの派手な羽根など
これらは主に求愛行動のため獲得された「モテ形質」と呼ぶべき特徴で、
種の繁栄や生存のために有利な進化ではありません。
競争に強い種は個体数が増加していくため、
結果的に同種間のオスでメスをめぐる競争が激化していきます。
すると、その生物種は「モテ形質」を進化させやすくなります。
このモテるための進化は、個人にとっては重要かもしれませんが、
種にとってはなんの意味もなく、個体数の増加にはほとんど貢献しないものです。
これは、他種族から見れば競争にはなんの関係もないムダなエネルギーを浪費している状態です。
生物は限られた資源をどこに割り振るか、ということで多種族との競争を有利に進めていきます。
それを繁殖や成長に割り振らず、モテ形質の進化に投資するようになれば、結果としてその種は増えにくくなります。
逆に競争に弱い種が個体数を減らしていくと、
モテ形質獲得というムダな投資は控えられて、
増殖速度が速くなります。
個体数の増減に合わせておきる、
この増殖を取るか装飾を取るか、
という進化の選択が、
結果として強い種が増えすぎること、
弱い種が減りすぎることを抑制し、
共存状態が維持されるようになるのです。
これらの進化は生物種の存続や繁栄には貢献しない、集団にとってエネルギーの浪費となるムダな進化です。
人間に当てはめて見てもなんだか心当たるものがある気がしますが、
しかし、こうしたムダな進化は、ムダであるからこそ、種間での競争を弱めるために働き、結果的に多様な種が共存できる状況を生み出しているのです。
P.S
人間社会の中にも、社会の利益にならない一見ムダで身勝手な活動をする人たちが大勢いますが、それも増え過ぎた人間を調整するための、自然の作用なのかもしれません。
コメント